トリトブの日記

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Netflix映画「ブルージェイ」の感想、近況メモ

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「ブルージェイ」

2016年 Netflix製作

Director:

 Alex Lehmann

Writer:

 Mark Duplass
Imdbより引用、カタカナでどう書けばいいのかわからなかったので、、)
 
 
 
 
 
Netflixにいつもおすすめとして出てくるので見てみたらおもっていた何倍も素晴らしい映画でしたのでメモとして残しておきます。
 
 
 
隠さずに言うとほぼ一年ぶりの更新です。
 
別に忙しかったわけでもなく映画に飽きたわけでもなく、ただの怠惰。
いかにも暇な大学生が適当に始めたブログ感と、自分の三日坊主さ(まさにそれを治すために始めたのだけど)に穴があったら入りたい程恥ずかしいので、こんな駄文見ている人などいないと思うけど万が一見てしまったひとがいらっしゃいましたら、今すぐブラウザの戻るボタンを押してください、、、、、
 
 
 
 
Netflixのレコメンド機能でうるさかったのでふと観たこの映画、本当に素晴らしかったです。
白黒のどこか抽象的でノスタルジックな画作りに、主役二人の自然な会話から薄っすらと垣間見える二人の過去がほろ苦く浮かび上がってくる脚本がいいと思いました。
主役であるジム役の人が脚本も書いているらしいですね。
おそらくだれもが連想するのはリチャード・リンクレイター監督のビフォア三部作だと思います。
ただビフォア三部作は現実の時間とシンクロしていたりかなり特殊な映画だとおもうので、テーマは似てはいないかなと思いました。
 
 
 
 
 
ーーーーーーーーーーーここからはネタバレになりますーーーーーーーーーーーーーー

ビフォア三部作の語り口でラ・ラ・ランドのようなテーマ

この映画はおそらく高校時代に付き合っていたカップル、ジムとアマンダが大人になり、突然再開するところから始まります。

まずここの再会シーンがすごいリアル笑

ジムは先に気づいちゃったけど話しかけ方ががわからず無視したり、いざあいさつしてもすぐに話すことが無くなる感じもすごくキツかったです、、

これはあとからわかるのですが、ジムは絶賛無職、アマンダは年上の夫と二人の子供と円満な家庭を築いているものの抗うつ剤を内緒で服用している(数年間涙を流したことがない)状態です。

 

お互いがよそよそしい態度でコーヒーを飲みながらも、”旅行”という世界中のビールを買う遊びや、彼女の好きなジェリービーンズの色を覚えていたことから懐かしい思い出が蘇り、ふたりはジムの家へ。

付き合っていたころ録音したテープから、将来は結婚してなんの不満もない明るい未来を信じ切っていた二人を思い返します。今のくすんだ自分(と二人は思っている)とは比べようにならないほどキラキラした昔の自分。

ここの”若さ思い出し描写”は本当に苦しかった、、笑

 

こういう”若さ思い出しギャップほろ苦映画”ってたくさんあると思いますし、王道とも言える展開ですがこの映画ではほろ苦いというより、白黒の画面と相まって闇感が強くこの時点で激苦でした、、、

 

 

ですがぼくが思うこの映画の本当に好きな場所はこのあとにあります。

 

 

思っていたとおり(苦笑)、お互い今の現実を捨てて甘いノスタルジーに逃避しきることもできず、数十年抱えていた不満、不安が爆発します。

ここで!、思ってもいなかった暗い過去が垣間見えます。

明確に言葉では示されませんが実はアマンダは妊娠し、中絶しているらしいということが示唆されます。妊娠後選択をせまられたアマンダに、まだ大人になりきれないジムは戸惑い風船を病室に送るだけ、距離をとってしまったらしいのです。

ここの狼狽しながらありったけの後悔をぶつけるジムの演技は息を呑むものがありました。

 

夜が明けしっかり謝罪するジム。ここで中盤の伏線が回収され、アマンダ側の後悔が明らかにされたあと、アマンダの眼に涙が光ります。

ここのある小道具を用いた演出が素晴らしいと思いました。

 

 

後悔の涙とはいえ泣けなかったアマンダが泣けたことを二人は笑い合って祝福します。

 

ぼくはこの「”こういう未来もあり得たかも”という過去へ抱く夢のようなものでも現実を変えうる力になるんだ、無駄ではなかったんだ」、「そういう瞬間があった人生を喜ぼう」という思い出へのポジティブな解釈がほんとうにすきです。この一点に画面が白黒である意味(ノスタルジックである意味)やビフォア三部作のようにリアリズムな撮影手法である意味があると思います。

 

ここにぼくはラ・ラ・ランドでラストシーン、ミアとセブが笑いあった瞬間を想起しました。ほぼ登場人物が二人であることも似ていると思います。

 

このあと二人がどんな人生を送ったか描かれませんが、自分の過去にケリを付け一歩目をようやく踏み出せるようになった大人の物語だったと思います。