トリトブの日記

映画、音楽、ゲーム、とかとか

映画「ラッキー」を観た!

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パリ、テキサス」「ツイン・ピークス」で知られる個性派俳優で、2017年9月に逝去したハリー・ディーン・スタントンの最後の主演作。「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」などの名脇役ジョン・キャロル・リンチが初メガホンをとり、スタントンに当て書きしたという90歳の気難しい現実主義者ラッキーを主人公に、全ての者に訪れる人生の最後の時間を描く。

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ラッキーを観ました。

まず、前提としてぼくはハリー・ディーン・スタントンが出てる映画を観たことがなくて、、(ただただ恥ずかしい)

だからたぶん、この映画が持っているメタ的なの主人公ラッキーとハリーが重なるという構造は、頭ではわかっているものの本質的には理解できてない状態です。この映画の中でだいぶ重要な部分を理解できてないのですが、そんな状態で観た直後の感想を備忘録的に書き残します。

 

 

 

 

 

 

 

ぱっと印象的な場面といって思いつくのはまず、EXITのシーンです。

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真っ赤な照明と緑に光るEXIT(この世からの出口=死)。

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あの場面だけ、普通ではハーモニカの音の劇伴がギターの音などで激しくなって現実から飛躍している感があってすごい良かったです。その後ラッキーは自室のベッドで目を覚まします。いつも通りのルーティンはここではやらず、そのまま二度寝。外はこれまではずっと晴天だったのが今は暗い。

このシーンからラッキーが決定的に死への恐怖を自覚したのかなぁなんて思ったり。

ここからはラッキーが色んな人(コオロギ)と時間を過ごすことで、どう死へ対処するかを考えます。

 

 

 

彼が家で水をまいているのはは植木鉢の中のサボテン。

ラストシーン、ラッキーはサボテンを見ていました。

正面には背の高いもう朽ちかけのサボテンだが、その茎の上には新しい芽が。背後には背の低い新しいサボテン。

その間にラッキーは立って笑う。そして立ち去る。

冒頭のリンチ演じるラッキーの友人ハワードのカメが右から左に歩いていくシーンと呼応して、ラストシーンカメが左から歩いて来るのが見える。

ラッキーは去った。が、カメは帰ってきた。

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このセリフは一言も無いラストシーンからのエンドロールを見て、すごい良い映画だったなぁ嬉しいなぁとニッコリでした。

 

 

 

 

ラッキーも、ハワードも、フィリピンの少女も、この映画を観てる観客にも、ハリー・ディーン・スタントンにも全員に死はやってくる。それはどんな宗教を持っていても変わらない。ここまで紛れも無い事実を見せ付けるこの映画、ぼくはここまでで厳しい映画だなぁと観てましたが、この後一転してすごいやさしい映画だと思い直しました。

 

(イヴに対して「クソ女め」と言う日課っていうのも笑っちゃいましたが)イヴでさえ閉園の時が来る。だからって孤独っていう訳ではない。孤独と一人とは違うんだ。alone=all one。誰だって一人で向き合わなきゃ行けないんだ。じゃあその時が来たらどうすべきなのか。

 

笑うしかないんだ。

 

っていうなんてかっこいい回答。ここからのラッキーの笑顔には完全にやられちゃいました。

すごく頼もしい感じがしませんか、、?(突然の問いかけ)

たぶんこの感覚こそ、孤独ではない証明なのかなみたいに思いました。

 

 

 

ぼくは頭に書いた通り、一本も他の映画みたことないのに、なんかすっかりハリーが本当に亡くなったのが悲しくなってしまいました。

正直観た直後は消化できなかったけど、帰ってこうやって感想を書いてたらじわじわ感動してきました。音楽もめちゃ良かったです。

あとぼくの隣に座ったおじいちゃんがみてる途中で、飲んでる水が気管に入ったのか、ゲホゲホ凄い苦しそうな咳をしだして、4DX版ラッキーを間違えて見に来たのかと思いました(流石に嘘)。