トリトブの日記

映画、音楽、ゲーム、とかとか

映画から入るポスト・クラシカル①

ポスト・クラシカル入門ガイド

⚠事実誤認などあるかもしれません!すみません!

 

 映画音楽家としてのマックス・リヒターから

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これは映画「メッセージ」で冒頭とラストシーンで使われたマックス・リヒター作曲「On the nature of daylight」です。(メッセージの他の音楽はヨハン・ヨハンソンが担当)メッセージを観た方ならかなり印象的に使われているので記憶に残っているからも多いのではないでしょうか。同じモチーフが連続する円環的な構造を持った(これはメッセージ本編とも共通しますが)かなりエモーショナルな曲でぼくはここから彼のファンになりました。先日の来日公演も行ってきました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%92%E3%82%BF%E3%83%BC

彼のディスコグラフィーを観ても映画、ドラマの仕事をたくさんこなしています。Wikiですが。

 

彼について調べるうちにポスト・クラシカルというジャンルの存在を知ることができました。

 

ポスト・クラシカルとは

fuyu-showgun.net

いきなり引用なんですがこの記事がわかりやすいです。

クラシカルと聞くと重い感じがするかもしれませんが、むしろ”聞きやすさ”がポスト・クラシカルたる条件だ、と言い切ってしまっていいのかもしれません。音楽的特徴は弦、声楽、ピアノなどを中心にエレクトロニカとクラシックを融合させた、みたいな感じでしょうか、??

とにかくぼくは「映画音楽」っぽい!と思ったことを覚えています。実際ビジュアライザブルな音楽だからこそ映画で使われるのでしょう。

 

「ポスト・クラシカル」という名称もマックス・リヒターが考えたようですが、まずリヒターの曲を聞くとわかりやすいと思います。

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映画ファンにむけたリヒターおすすめアルバム

映画ファンの方にこそ向けておすすめしたいアルバムがあるのです。

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「The Blue Notebooks」というアルバムで冒頭で紹介した「on the nature of daylight」も収録されています。

 

このアルバム、なんとあのティルダ・スウィントンが朗読で参加しているのです!!!!!!

最近では「サスペリア」で一人三役こなしてましたね。ティルダは確か現代アートに積極的に参加してたり、そもそもすごい名家出身だったりしたはずなので納得ですが、ここでもすごくいい仕事をしています。

このアルバムはイラク戦争時のから現在まで脈々と続く世界の不条理さをテーマとしています。ここでティルダはカフカ、チェスワフ・ミウォシュの文章を朗読します。全体として弦楽、ドローン、ピアノ、オルガンなど様々な音色を織り交ぜつつ展開していきます。最後にはものづくり論、想像性とは、というような着地を見せます。

一曲目、表題曲ではピアノ、時計、電車、タイプ音にのせてカフカが朗読されます。ぼくはここはまだ現在、二曲目から回想シーンだと思っています。

映画音楽というよりは映画を音楽にしたようなかんじ?と思いました。

 

このアルバムは生で来日公演の際に聞いたのですが、会場ではいびきが聞こえるほどゆったりとした癒やしの音楽でした。でもただのイージーリスニングに陥らず、その安らぎの先になにか冷たいものがあるような、でもどこかもがきたい悲痛さも秘めているように感じました。そもそもポスト・クラシカルというジャンルの時点で耳心地がいいのはそうなので、その先に作家性が現れるのだと思いました。 

 

 

 

 

次回はErased tapesというポスト・クラシカルの代表的レーベルを書きたい!(願望)

Netflix映画「パドルトン」の感想

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「パドルトン」

2019 2/22公開

Director:

 Alex Lehmann
 (Imdbより引用)
 
あらすじを適当に書いておくと、同じアパートに住む仲良し二人組の中年男性アンディとマイケルが主人公。突然末期がん宣告を受けるマイケルが安楽死を望み、ショックを受けたアンディその望みを叶えようと彼と行動をともにしていく、、みたいな感じでした。
 

 

ブルージェイから一貫した作家性(ネタバレ)

監督アレックスラーマンと主演脚本のマークデュプラス前作「ブルージェイ」の感想をぼくがアップしてすぐパドルトンがNetflixにきたので観ました。
 
先にざっくり感想を書くと
この監督と相性が良いみたいでほんとうに好きな映画でした!!
 
 
 
 
この題名になっている「パドルトン」、二人がいつも遊んでいるスカッシュみたいな独自の遊びのことなのですが(ドラム缶にボールを入れるのが目的)、何にせよとにかくこの二人の関係が本当に仲良し、幼稚にみえるほど(笑)。とくにお互いの深い事情はあえて話さず、まいにち一緒に映画を見たり素敵な関係だと思いました。
後にソファで並んで映画を見る姿が変わっていくことで、とても切なく感じるという伏線にもなっています。
 
Ray Romano and Mark Duplass in Paddleton (2019)
 
まず冒頭のタイトルバックのうらで二人がパドルトンをしている姿が映されるのですが、「汚いドライブインシアターの壁を介して不安定だけれどもボールを打ち合う」のはそのまま二人の関係性をうつしているのでは、と思ったり。
考えすぎかもしれませんが、とにかくこれは二人の関係性の映画だとわかるタイトルシーンでした。
 
 
 
 
 
そしてガン宣告後おたがいの関係が少しずつ変わっていく(おもにアンディがマイケルの死を受け止めきれない)。ピザが焦げてしまうシーン、ごく自然に見えるけどアンディとマイケルの "気づくのが遅くなってしまったことへの後悔" というのが言葉ではなく映画的に示されていてとても良かったです。
 
 
細かいところですが、バーでふたりがいつも観ていた「デスパンチ」を実演するシーン、好きな映画を話すことの楽しさが表現されてよかった。どんどん熱がこもってドライブしていく感じが楽しかったです。周りから見ると滑稽に見えるけど本人たちは「必死で」楽しんでいるんだなぁと;;
 
 
ついに死を覚悟したマイケルに寄り添うアンディ、自然に飲み薬を水で薄めてスプーンでかき混ぜるところまできちんと手伝います(ここまで友達の死を手伝うシーンを丁寧に描かれると辛い、、)が、死の直前マイケルがためた思いが爆発します。ここは非常に胸に迫るシーンでした。
 
 
 
お互いが今まで隠していた思いが二人の行動の中でついに爆発する、という点でブルージェイと共通しますが、このアレックスラーマン監督の作家性は「辛い現実にどう対応するのか」に興味がある人なのかと思いました。(ブルージェイでは思い出、パドルトンでは日々の遊びという手段でなんとか適応しようとすることから、「生活」みたいなキーワードもありかなぁ、ノア・バームバック監督と似てるけどより優しい目線で、大きい見せ場も割とはっきりあるなぁ、、、と思っていたらなんとこの監督のまた違う映画がNetflixで見られることがわかったので、今書いてたの無しで(笑)観たあと作家性については考えます。)
 
 
 
 
 
男同士の友達ではありながらお互いの性的な事情までは踏み込まないリアルな距離感を観られてよかったですし、最後はなぜか風通しのいい終わり方なのでおすすめです!!!
 

Netflix映画「ブルージェイ」の感想、近況メモ

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「ブルージェイ」

2016年 Netflix製作

Director:

 Alex Lehmann

Writer:

 Mark Duplass
Imdbより引用、カタカナでどう書けばいいのかわからなかったので、、)
 
 
 
 
 
Netflixにいつもおすすめとして出てくるので見てみたらおもっていた何倍も素晴らしい映画でしたのでメモとして残しておきます。
 
 
 
隠さずに言うとほぼ一年ぶりの更新です。
 
別に忙しかったわけでもなく映画に飽きたわけでもなく、ただの怠惰。
いかにも暇な大学生が適当に始めたブログ感と、自分の三日坊主さ(まさにそれを治すために始めたのだけど)に穴があったら入りたい程恥ずかしいので、こんな駄文見ている人などいないと思うけど万が一見てしまったひとがいらっしゃいましたら、今すぐブラウザの戻るボタンを押してください、、、、、
 
 
 
 
Netflixのレコメンド機能でうるさかったのでふと観たこの映画、本当に素晴らしかったです。
白黒のどこか抽象的でノスタルジックな画作りに、主役二人の自然な会話から薄っすらと垣間見える二人の過去がほろ苦く浮かび上がってくる脚本がいいと思いました。
主役であるジム役の人が脚本も書いているらしいですね。
おそらくだれもが連想するのはリチャード・リンクレイター監督のビフォア三部作だと思います。
ただビフォア三部作は現実の時間とシンクロしていたりかなり特殊な映画だとおもうので、テーマは似てはいないかなと思いました。
 
 
 
 
 
ーーーーーーーーーーーここからはネタバレになりますーーーーーーーーーーーーーー

ビフォア三部作の語り口でラ・ラ・ランドのようなテーマ

この映画はおそらく高校時代に付き合っていたカップル、ジムとアマンダが大人になり、突然再開するところから始まります。

まずここの再会シーンがすごいリアル笑

ジムは先に気づいちゃったけど話しかけ方ががわからず無視したり、いざあいさつしてもすぐに話すことが無くなる感じもすごくキツかったです、、

これはあとからわかるのですが、ジムは絶賛無職、アマンダは年上の夫と二人の子供と円満な家庭を築いているものの抗うつ剤を内緒で服用している(数年間涙を流したことがない)状態です。

 

お互いがよそよそしい態度でコーヒーを飲みながらも、”旅行”という世界中のビールを買う遊びや、彼女の好きなジェリービーンズの色を覚えていたことから懐かしい思い出が蘇り、ふたりはジムの家へ。

付き合っていたころ録音したテープから、将来は結婚してなんの不満もない明るい未来を信じ切っていた二人を思い返します。今のくすんだ自分(と二人は思っている)とは比べようにならないほどキラキラした昔の自分。

ここの”若さ思い出し描写”は本当に苦しかった、、笑

 

こういう”若さ思い出しギャップほろ苦映画”ってたくさんあると思いますし、王道とも言える展開ですがこの映画ではほろ苦いというより、白黒の画面と相まって闇感が強くこの時点で激苦でした、、、

 

 

ですがぼくが思うこの映画の本当に好きな場所はこのあとにあります。

 

 

思っていたとおり(苦笑)、お互い今の現実を捨てて甘いノスタルジーに逃避しきることもできず、数十年抱えていた不満、不安が爆発します。

ここで!、思ってもいなかった暗い過去が垣間見えます。

明確に言葉では示されませんが実はアマンダは妊娠し、中絶しているらしいということが示唆されます。妊娠後選択をせまられたアマンダに、まだ大人になりきれないジムは戸惑い風船を病室に送るだけ、距離をとってしまったらしいのです。

ここの狼狽しながらありったけの後悔をぶつけるジムの演技は息を呑むものがありました。

 

夜が明けしっかり謝罪するジム。ここで中盤の伏線が回収され、アマンダ側の後悔が明らかにされたあと、アマンダの眼に涙が光ります。

ここのある小道具を用いた演出が素晴らしいと思いました。

 

 

後悔の涙とはいえ泣けなかったアマンダが泣けたことを二人は笑い合って祝福します。

 

ぼくはこの「”こういう未来もあり得たかも”という過去へ抱く夢のようなものでも現実を変えうる力になるんだ、無駄ではなかったんだ」、「そういう瞬間があった人生を喜ぼう」という思い出へのポジティブな解釈がほんとうにすきです。この一点に画面が白黒である意味(ノスタルジックである意味)やビフォア三部作のようにリアリズムな撮影手法である意味があると思います。

 

ここにぼくはラ・ラ・ランドでラストシーン、ミアとセブが笑いあった瞬間を想起しました。ほぼ登場人物が二人であることも似ていると思います。

 

このあと二人がどんな人生を送ったか描かれませんが、自分の過去にケリを付け一歩目をようやく踏み出せるようになった大人の物語だったと思います。

 

 
 

映画とドラマの差についてちょっと考えてみた!

 

 

今の時代、海外ドラマが凄いじゃないですか。

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ぼくが映画と同じようにドラマを追うようになって少し経ちました。

そこで、本当に追っている人から見たらうすっぺらな知識での、

「映画とドラマの差」

の全然信用できない考察を、自分の備忘録として書き残したいと思います。

 

 

(ここでいうドラマは、1話1話でドラえもんのように話が前に進まないような形態ではないものを指します。)

 

 

 

 

 

①ドラマには区切りがある

 

これが一番大事だとおもいました。

映画には「伏線」という要素があります。

映画冒頭でのシーンがラストシーンと呼応してたり、何か小道具が冒頭と事件後では使われ方が違っていたり。

 

「映画は『思い出す』ときに感動する」

 

そう言ったのは宇多丸師匠ですが、端的にドラマでは思い出しづらい。

一日1話見てたとしても、計8話のドラマの最終回を見てる頃には、1話目は一週間前のことです。だから細かな伏線が難しい。

連続してみる用に作られていないからでは、と思いました。

 

 

 

 

②映画には無い激しい物語展開

 

映画よりドラマの方が「興味の持続」を強いる構成かな、と。

短めのドラマでも全8話あるとして、計400分はありますよね。

途中で見るのを辞められるのを防ぐために、毎話面白くなければならないんだと思います。

映画館で一時停止は無いため、常に面白くなくても良い、気がします。

 

 

 

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「ロストイン・スペース」おもしろいです。Netflixで観れるので入っている方は是非。

 

 

おしまい。

映画「ラッキー」を観た!

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パリ、テキサス」「ツイン・ピークス」で知られる個性派俳優で、2017年9月に逝去したハリー・ディーン・スタントンの最後の主演作。「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」などの名脇役ジョン・キャロル・リンチが初メガホンをとり、スタントンに当て書きしたという90歳の気難しい現実主義者ラッキーを主人公に、全ての者に訪れる人生の最後の時間を描く。

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ラッキーを観ました。

まず、前提としてぼくはハリー・ディーン・スタントンが出てる映画を観たことがなくて、、(ただただ恥ずかしい)

だからたぶん、この映画が持っているメタ的なの主人公ラッキーとハリーが重なるという構造は、頭ではわかっているものの本質的には理解できてない状態です。この映画の中でだいぶ重要な部分を理解できてないのですが、そんな状態で観た直後の感想を備忘録的に書き残します。

 

 

 

 

 

 

 

ぱっと印象的な場面といって思いつくのはまず、EXITのシーンです。

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真っ赤な照明と緑に光るEXIT(この世からの出口=死)。

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あの場面だけ、普通ではハーモニカの音の劇伴がギターの音などで激しくなって現実から飛躍している感があってすごい良かったです。その後ラッキーは自室のベッドで目を覚まします。いつも通りのルーティンはここではやらず、そのまま二度寝。外はこれまではずっと晴天だったのが今は暗い。

このシーンからラッキーが決定的に死への恐怖を自覚したのかなぁなんて思ったり。

ここからはラッキーが色んな人(コオロギ)と時間を過ごすことで、どう死へ対処するかを考えます。

 

 

 

彼が家で水をまいているのはは植木鉢の中のサボテン。

ラストシーン、ラッキーはサボテンを見ていました。

正面には背の高いもう朽ちかけのサボテンだが、その茎の上には新しい芽が。背後には背の低い新しいサボテン。

その間にラッキーは立って笑う。そして立ち去る。

冒頭のリンチ演じるラッキーの友人ハワードのカメが右から左に歩いていくシーンと呼応して、ラストシーンカメが左から歩いて来るのが見える。

ラッキーは去った。が、カメは帰ってきた。

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このセリフは一言も無いラストシーンからのエンドロールを見て、すごい良い映画だったなぁ嬉しいなぁとニッコリでした。

 

 

 

 

ラッキーも、ハワードも、フィリピンの少女も、この映画を観てる観客にも、ハリー・ディーン・スタントンにも全員に死はやってくる。それはどんな宗教を持っていても変わらない。ここまで紛れも無い事実を見せ付けるこの映画、ぼくはここまでで厳しい映画だなぁと観てましたが、この後一転してすごいやさしい映画だと思い直しました。

 

(イヴに対して「クソ女め」と言う日課っていうのも笑っちゃいましたが)イヴでさえ閉園の時が来る。だからって孤独っていう訳ではない。孤独と一人とは違うんだ。alone=all one。誰だって一人で向き合わなきゃ行けないんだ。じゃあその時が来たらどうすべきなのか。

 

笑うしかないんだ。

 

っていうなんてかっこいい回答。ここからのラッキーの笑顔には完全にやられちゃいました。

すごく頼もしい感じがしませんか、、?(突然の問いかけ)

たぶんこの感覚こそ、孤独ではない証明なのかなみたいに思いました。

 

 

 

ぼくは頭に書いた通り、一本も他の映画みたことないのに、なんかすっかりハリーが本当に亡くなったのが悲しくなってしまいました。

正直観た直後は消化できなかったけど、帰ってこうやって感想を書いてたらじわじわ感動してきました。音楽もめちゃ良かったです。

あとぼくの隣に座ったおじいちゃんがみてる途中で、飲んでる水が気管に入ったのか、ゲホゲホ凄い苦しそうな咳をしだして、4DX版ラッキーを間違えて見に来たのかと思いました(流石に嘘)。

いまさらNetflixオリジナル「13の理由」を観た!

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〈あらすじ〉

ティーンエイジャーのクレイ・ジェンセンが学校から帰宅すると、玄関に7本のカセットテープが入った箱が置いてあることに気がつく。それには2週間前に自殺した同級生、ハンナ・ベイカーが自らこの世を去る決断をした13の理由が録音されていた。

 

 

 

 

 

なんとなく先送りにしていて、観てなかったけど、試しに1話観てみたらとまらなくて困った、、

 

 

このドラマはもちろんいじめ問題について考える際のテキストとしても充分だと思いますが、それ以前に普通に「面白い」のが一番いいですな。

 

 

これは、小さいサスペンス構造と大きいサスペンス構造が一体となっているからだと思いました。

テープに出てくるハンナが自殺する原因となった人間は、どいつで、どんな事をしたのか。これが小さいサスペンス。

そして自分がテープを持っているということは、確実にいつかは聞くことになるクレイのテープ。それがいつ来るのか。これが大きいサスペンス。

まぁだいたいのサスペンス映画はこういう構造になってると思いますが、、(でもこのドラマは、その構造と連続ドラマの性質を合致してるのを利用した所が発明だと思う)

 

 

あとテープ内のクレイと、現在進行しているクレイとの区別をつけるために1話目でおでこに傷がつくのとか細かな気配りも良かったですね。

 

クレイが最初はただのボンクラに見えるけど、どんどんかっこよく見えて来るのすごい

 

ちなみにクレイの持ってる灰色のリュックはAmazonベーシックっていうAmazonのブランド?みたいなやつで、1600円くらいで買えそうです。クレイがかっこよかったから欲しくなっちゃった。安いし。なんかジョセフ・ゴードン=レヴィットに雰囲気似てるディラン・ミネット。だからぼくが好きなのかな〜

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https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B013TGESIQ/ref=mp_s_a_1_8/358-5517556-6864314?__mk_ja_JP=カタカナ&qid=1521551756&sr=8-8&pi=AC_SX236_SY340_QL65&dpPl=1&dpID=41GadsYlTZL&ref=plSrch&th=1&psc=1

 

クレイの服装に注目して見ても、いつも灰色のパーカーとか地味な服装の彼があるワンシーンだけ彼らしく無い服を着るシーンがあって、「もしあの時〇〇だったら、、」っていう最高に切ないシーンになってるのがよかったなぁ

 

 

 

こういう「いじめをされる側でなく、いじめをする側の目線に立って、しかも自分は絶対にいじめなんてしたこと無いなんて言えなくなる物語」自体は、決して楽しいものでは無いけど、それでもちゃんとドラマとして面白く作ると、最後まで興味を持って見れるし、ちゃんと自分で考えることもできるんだな〜と感心しました。

 

 

 

シーズン2は今年の春らしいですね。楽しみ。

最近twitterとかでNetflixが13の理由の特別映像をいまさら上げたりしてたから、そろそろ来るのかな〜なんて思ったりしながらサントラ聞いて待機してます。

Netflixオリジナル「アナイアレイション 全滅領域」を観た!

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Netflixオリジナル作品「アナイアレイション 全滅領域」

 

メガホンは「エクス・マキナ」のアレックス・ガーランドがとり、主演女優はナタリー・ポートマン。脇役にはオスカー・アイザックが出演。

 

 

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エクス・マキナが凄く好きだったんで楽しみにしてたのですが、予想以上に良くて嬉しかったです。

 

ぼくはアレックス・ガーランドの映画の共通する作家性として、「自分と他者との境界線を曖昧にさせる」映画を撮る人だと思ってて。

エクスマキナでは「ガラス」

アナイアレイションでは「境界線」(文字通り!)

を、踏み越える(一線を越す)シーンが怖いのは、作家性をそのまんま映像化している、映画の核となる部分だからなのかなと思ったり。

でも今回のアナイアレイションでは、その一線を越すシーンはまだ序盤。

その先こそが今作の白眉だと思います。

ゴシックホラー的になったり、モンスターパニック的になったり。あの手この手で楽しませてもらった先に、普段ただ生きているだけじゃ絶対に見る事の出来ない景色も見せてもらって、さらにお土産まで持たせてもらえます。

 

 

作品内で言及される「自傷行為」と「自己破壊」の違い。

ぼくは「自分の内に入り込んだ他者(もしくは、他者になってしまった自分)への拒否反応」としての自己破壊行為だと解釈しました。

 

 

 

いずれにせよやっぱり何が何だか分からなくなって、クラクラしてくる感覚はやっぱり楽しかったです。

 

Netflixはやっぱりすごいなぁと感じたり。こんな面白い映画を月1000円で観せてくれるなんて感謝の気持ちがほとばしったり。

今はもう家で新作映画を見る時代ですな。